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誰か教えてくれ。何故私は「ときメモ」などにハマっていたのだ?
チャールズ・A・リンドバーグ(1902-1974) 昨日、ウチの劇団の夏公演で使うリハーサルスタジオと契約しに中野へ行って来た。スタジオ自体は亀戸にあるのだが、中野の「ザ・ポケット」という劇場が持っている練習スタジオなので契約は中野の劇場事務所でする。 実は中野は俺にとってとても思いで深い場所なのだ。というのも最初に東京に出て来て住んだところが中野の丸井本店の脇を中央線の高円寺方面に真っ直ぐ歩いていった所にある賃料3万円のアパートだったからである。もう15年も前の話だ。 劇場はホントに近所だった。(もっとも当時はザ・ポケットは存在していなかったが)ついでにあたりをぶらついてみたが、ずいぶんと景色が変わっていた。通っていた銭湯もなかった。 稽古までは3時間ほど時間があったので、どこかで時間をつぶそうと中野ブロードウェイへ。ここはいつから「中野まんだらけビル」に成り下がったのだろう?大げさな話ではなく、ビルのテナントの半分近くがまんだらけの系列店なのである。少なくとも中野に住んでいた当時はまんだらけはただの古本屋だった。 メイドゲーセンというすでに何がしたいのだか全くわからない店もオープンしていた。中野ブロードウェイってこんなに秋葉原臭かったっけ? ブロードウェイから中央線中野駅方面に向かうと「中野サンモール」というアーケード商店街がある。 そこの真ん中あたりに「中野サンプラザ」に抜ける横道があるのだが、そこに「喫茶クラッシック」があった。 最低でも昭和初期には建っていただろうと思われる外観もさることながら、店の中は常に薄暗く、磨り減ったレコードがかかっており、床はベコベコで2F席へ上がる階段もバキバキなのである。そこの2F席のすでに足の長さの違うガタガタの椅子に腰掛け、安いコーヒーを飲みながらよく台本を覚えたものだ。メニューはコーヒーと紅茶、果汁など入っていないオレンジジュースのみだった。水はワンカップの空き瓶に入っている。ちょっとした隠れ家だった。 久しぶりに訪れたそこは店の入り口に不動産会社の挨拶文が貼られており、今年喫茶クラッシックが閉店した事をつたえていた。店の壁にはスプレーで落書きがされていた。丸っこくて読みにくいフォントだ。どこのバカの仕業だろう? 中野に住んでいた頃のことが次々と鮮明に思い出されて、かるく眩暈がした。 あの頃から俺は1歩も前に進んでいないのだ。 ▲
by kimuraz
| 2005-06-10 08:53
| 能書き
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